悟りとは差を取ることだよ、という話もあるけど、ここでは私の思う悟りの話
お釈迦様(ブッダ)が菩提樹の下で悟りを開かれた際に、自分はすごく贅沢なことも経験したし、すごく貧しいことも経験した
その結果、ほどほどがいいっていう悟りをひらいたみたいな話(又聞きの又聞きなので、間違ってたらごめんなさい)
で、まぁ悟り=中庸ってことで、まだ中学生くらいだったかの私はなーんだってなった
真ん中=普通だから、悟りって簡単じゃないかとw
ただ大人になって思ったのは、悟りってのは=幸せみたいなもので、ひとりひとり違うんだなって
自分の幸せの位置というか、例えば食べ物だったら、これを越えても満足度ってそんな変わらないな。自分にとって食べ物での幸せはこのくらいだな、とか
そういうのを1個1個見つけていって、自分なりに1個1個悟っていって、完全に解脱して涅槃にいくみたいな
この世が修行ってのは、そういうことなのかなぁと、年を重ねて自分なりに納得してる
悟り、解脱も、涅槃も、この世のことで、幸せを見つけていくのが修行なら、きっと楽しいし
天国は亡くならないといけない場所じゃなく、この世は苦行でない、わざわざ苦しいことをする必要はない
むしろ、幸せを追いかけていけばいいってのは、何か安心するし
、それで自分はこういうのが幸せってなるのが、
コメント